「とにかく、人が辞めないようにしたい」。
中小企業の経営者の方とお話しすると、ほとんどの方が、最初にこうおっしゃいます。痛いほど分かります。人が一人辞めれば、採用にお金がかかり、残った人にしわ寄せがいき、その人がまた疲れていく。辞めてほしくない、という願いは、経営者としてまっとうなものです。
ですが、今日はあえて、少し天邪鬼なことを書きます。
「人が辞めない会社」を本気で目指すと、かえって人が辞めていく——私は、そう考えています。約30年、人の心と体の現場を見てきて、たどり着いた結論です。順を追って、お話しさせてください。
「辞めさせない」を目標にすると、職場で何が起きるか
「離職率を下げる」。これを目標に掲げた瞬間、会社の中では、静かに、こういうことが起きはじめます。
まず、辞めそうな人を引き止めにかかります。給与を上げる。役職をつける。「お前がいないと困る」と伝える。どれも悪いことではありません。ですが、引き止めの手段が待遇や情に偏っていくと、だんだん「我慢して残ってくれる人」が、良い社員ということになっていきます。
そして、辞める人は「裏切り者」のような空気になる。すると、辞める人は本当の理由を言わなくなります。「一身上の都合で」と頭を下げて、去っていく。本当の退職理由という、いちばん大事な改善のヒントが、永遠に手に入らなくなるのです。
最後に何が残るか。——我慢の効く人だけが残ります。逆に言えば、外でも通用する人、我慢して自分をすり減らすことをよしとしない人から、静かに辞めていく。「辞めさせない」ことに成功した会社に残るのは、しばしば「辞められない人」です。これは、定着ではありません。ただの停滞です。
介護の現場で、私が何度も見てきたこと
この話には、元ネタがあります。私が長く関わってきた、介護の現場です。
在宅介護のお手伝いをするとき、「施設には入れないこと」をゴールにすると、たいてい破綻します。ご家族は「最後まで家で」という思いで、限界まで抱え込む。ご本人も望まない生活を続ける。そして、ある日、介護している側が先に倒れる。私は、こういう場面を、一度や二度ではなく見てきました。
ゴールが間違っていたのです。「施設に入れないこと」ではなく、「ご本人が望む暮らしが、ご本人も家族も壊れずに続くこと」——そこに目標を置き直すと、不思議と、無理のない道が見えてきます。
会社も、まったく同じだと思うのです。目標は「辞めさせないこと」ではない。「その人が、壊れずに働き続けられること」。ここを間違えると、良かれと思ってやることが、全部、裏目に出ます。
離職には、まったく違う「2種類」がある
ここが、今日いちばんお伝えしたいことです。
ひとくちに「人が辞める」と言いますが、離職には、性質のまったく違う2種類があります。
ひとつは、壊れて辞める離職。腰を痛めて、もう続けられない。心を病んで、朝起きられない。誰にも相談できないまま、限界が来て、辞表を出す。——これは、防がなければいけない離職です。会社にとっても、本人にとっても、痛い。
もうひとつは、育って卒業していく離職。ここで力をつけた人が、独立する。もっと大きな仕事に挑戦する。地元の別の会社で、腕を振るう。——これは、私は、止めなくていいと思っています。むしろ、送り出していい。
問題は、「離職率」という一つの数字で見ると、この2つが区別できないことです。壊れて辞めた人も、育って卒業した人も、同じ「1」として数えられてしまう。だから、離職率だけを追いかけると、本当は送り出してよかった人まで、必死に引き止めることになる。数字は、時として、大事なものを見えなくします。
「あそこは人が育つ」という評判が、次の人を連れてくる
「でも、育った人に辞められたら、うちは困る」。そう思われますよね。分かります。
ただ、少し長い目で見てください。とくに、地方の狭い業界では、これが効いてきます。
御社を卒業した人が、取引先の担当者になる。協力会社の職長になる。同業の集まりで「あの会社は良かった」と話す。後輩に「あそこ、いいよ」と勧める。——辞めた人が、どこで、何を語るか。これが、次の採用と受注に、じわじわ跳ね返ってきます。
逆に、壊れて辞めた人は、こう語ります。「あそこは腰を壊すまで働かされる」「何を言っても通らない職場だ」。この一言が、口コミに、飲み会に、ハローワークの窓口に、残っていく。——応募が来ない本当の原因は、何年か前に壊れて辞めた人が残していった評判だった。そういうこと、実は少なくありません。
「あそこは人が育つ」と言われる会社に、人は集まります。そして、その評判は、育った人が気持ちよく卒業していける会社にしか、生まれません。囲い込む会社からは、育つ人は現れないのです。
だから、目指すのは「働き続けられる職場」です
ここまでをまとめると、私がつくりたいのは、こういう職場です。
心も、体も、人間関係も、壊れずに働ける。その上で、ここで働き続けることも、次のステージへ進むことも、本人が選べる。留まる自由と、出ていく自由の、両方がある。——これを私は「働き続けられる職場」と呼んでいます。
そのために私がやるのは、引き止めの小手先ではありません。人が壊れる原因を、心・体・制度の3方向から、ひとつずつ取り除いていくことです。腰の負担を減らす。心の不調に早く気づく仕組みをつくる。相談できる空気を育てる。——原因がなくなれば、壊れて辞める人は、自然と減ります。引き止めなくても、です。
正直に言えば、私自身、パワハラ気質の上司の下で、月曜の朝になると体が重くなる時期を過ごしたことがあります。あの重さは、気合いでどうにかなるものではありませんでした。だからこそ、「気合いで乗り切れ」とは口が裂けても言いません。壊れる前に、仕組みで防ぐ。それが、私の仕事です。
おわりに
もう一度、最初の問いに戻ります。「人が辞めないようにしたい」。
その願いは、正しい。ただ、目標の置き場所を、ほんの少しだけ、ずらしてみてください。「辞めさせない」から、「壊れずに働き続けられる」へ。それだけで、打つ手が変わり、職場の空気が変わり、めぐりめぐって、人が辞めなくなり、応募が増えていきます。
言い方を変えれば、こういうことです。
辞めさせない会社に、人は集まらない。
壊れない会社に、人が集まる。
御社の職場に、壊れかけているサインは、出ていないでしょうか。腰の痛みを我慢している人。朝、元気のない人。「大丈夫です」と言いながら、大丈夫じゃない人。——そのサインを見つけるところから、すべては始まります。
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