先にお断りしておきます。私は弁護士でも社労士でもありません。公認心理師であり、理学療法士です。だから今日の話は「法律的にこうしなさい」ではなく、心と体の現場を約30年見てきた人間として「この判例から、私たちは何を学べるか」という視点で書きます。
きっかけは、ある裁判の一文でした。
「本人が大丈夫と言っている」——その言葉の重さ
2022年、奈良地裁である判決が出ました。過重な業務でうつ病を発症した職員が、自ら命を絶った。裁判所は勤務先に約6,800万円の賠償を命じました。
この判決で私の胸に刺さったのは、勤務先が何もしていなかったわけではないという点です。むしろ、配慮はしていた。それでも、責任は問われました。
何が分かれ目だったか。自殺の半年前、産業医が「長時間勤務にならないよう配慮が必要」と報告していました。ところが現場は、時間外勤務を減らす具体的な措置を取らず、負担を減らすかどうかを本人の意思に委ねてしまったのです。裁判所は、この点を安全配慮義務違反と判断しました。
「本人が大丈夫と言っているから」。この一言は、一見やさしく、本人の意思を尊重しているように聞こえます。でも——現場を長く見てきた私には、この言葉の危うさが痛いほどわかります。
限界にある人ほど、「大丈夫」と言う
これは、第1回・第2回の記事で書いてきたことと、まったく同じ構造です。心の不調も、体の不調も、いちばんしんどい人ほど、それを口に出しません。
「大丈夫です」は、必ずしも「大丈夫」という意味ではありません。「迷惑をかけたくない」「弱いと思われたくない」「ここで休むわけにはいかない」——そういう気持ちが、限界の手前で「大丈夫」という言葉に化けるのです。責任感の強い人ほど、そうです。
私自身、無理を「大丈夫」でごまかして、あとで体に返ってきた経験が何度もあります(人間、そんなに強くできていません)。だからこそ言えます。本人の「大丈夫」を、そのまま判断材料にしてはいけない。専門家が「配慮が必要」と言っているなら、それは本人の言葉より重いのです。
数字は「きっかけ」、答えは現場にある
ここで、ストレスチェックの話につながります。
ストレスチェックの結果も、産業医の意見書も、いわば専門家からの「警告」です。数値という形で、あるいは所見という形で、「この人に、この職場に、負担がかかっています」と教えてくれている。
でも、警告は受け取るだけでは意味がありません。奈良の事例が示したのは、警告を現場の主観で上書きしてしまう怖さです。「数値は高いけど、見た感じ元気そうだし」「本人も頑張ると言っているし」——そうやって、せっかくのサインを打ち消してしまう。
正直に言うと、私は数値そのものを万能だとは思っていません。数値より、現場の空気のほうが正直なことも多いからです。ある部署のストレス値が高いとき、答えは報告書ではなく、その職場を歩いてみないと見えてこない。数値はあくまで「どこを見るべきか」を教えてくれる地図です。地図を広げたら、次は現地を歩く。数値と人の、両方を見る。
2028年、もう「うちは小さいから」は通用しません
制度の話も、ひとつだけ。これまでストレスチェックは、従業員50人未満の会社では「努力義務」でした。「うちは小さいから、まだいい」で済んでいたのです。
それが変わります。2025年に労働安全衛生法が改正され、2028年4月から、50人未満の事業所も含めた全事業所で実施が義務になります。実際、いま実施率は50人以上で約8割に対し、50人未満では3割ほど。国はこの差を埋めにきています。
ただ、ここで立ち止まって考えてほしいのです。義務化は「実施しなさい」という話であって、「実施すれば安心」という話ではありません。奈良の事例が突きつけたのは、実施していても、結果を活かさなければ会社は守られないという現実でした。
義務だから仕方なくやる——その姿勢のまま実施だけ増やしても、キャビネットで眠る報告書が1冊増えるだけです。もったいない、では済まないかもしれません。
おわりに——制度は、人を守るための入れ物
ストレスチェックも、産業医の意見書も、それ自体が人を守るわけではありません。あれは「入れ物」です。中身——受け取った警告に、現場がどう動くか——で、価値が決まります。
むずかしいことをしなくて構いません。まずは、専門家が出したサインを、現場の主観で打ち消していないか。それを点検するだけで、多くのことが変わります。そして、点検の目に「心の視点」と「体の視点」の両方があれば、もっと変わります。
あなたの会社では、産業医の意見書や、去年のストレスチェックの結果が、具体的な行動につながらないまま眠っていませんか。もしそうなら、それは責めるべきことではなく、いますぐ活かせる伸びしろです。
当社では、ストレスチェックや健康施策の結果を「職場改善」と「人が辞めない仕組み」に変えるお手伝いをしています。公認心理師として心を、理学療法士として体を、両面から読み解き、中身から設計します。「うちの場合、何から手をつければ?」と感じた方は、まずは気軽にご相談ください。
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※本記事は制度・判例の一般的な解説であり、個別の法的判断を示すものではありません。具体的な法務対応は弁護士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。(参考:奈良地裁令和4年5月31日判決/厚生労働省 労働安全衛生法改正)

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